日本酒をやっている方に、ビールの話をひとつだけさせてください。水の話です。
灘の宮水と、伏見の御香水。同じ上方の酒どころでありながら、片や硬水で発酵が力強く進み、辛口で骨のある「男酒」。片や軟水で、おだやかにやわらかく醸される「女酒」。仕込み水が違うだけで、酒の性格そのものが変わってしまう。だから蔵は水の出る場所に建ち、水源を守り、水で土地を選んできました。水を選ぶことは、味を選ぶことです。
これとまったく同じことを、ビールでやっている会社があります。サントリーです。四つのビール工場は、丹沢水系、天王山・京都西山水系、赤城山水系、南阿蘇外輪山水系という別々の水の上に建っている。物流でも地価でもなく、水から場所を決めた会社です。この記事では、その到達点である「ザ・プレミアム・モルツ」を軸に、日本酒の仕込み水とビールの仕込み水を並べて見ていきます。
2003年5月20日、デフレのど真ん中に「高いビール」が出た
「ザ・プレミアム・モルツ」が今の名前で世に出たのは2003年5月20日です。ただし、この商品はこの日に生まれたわけではありません。原型は1989年までさかのぼります。
東京都府中市の武蔵野ビール工場で開発された「モルツ スーパープレミアム」。樽生限定の、いわば実験品です。この年、武蔵野工場には通常設備の20分の1という試作専用の「ミニブルワリー」が竣工しており、プレミアム・モルツはその最初の製造品でした。
家庭に降りてくるまでも長い。2000年11月28日に21世紀記念として缶が限定発売され、2001年4月17日に缶と中瓶が通年販売に。そして2003年、「ザ・プレミアム・モルツ」に改名して再出発します。
2003年の日本は、デフレの真っ只中です。そこへ、あえて高いビールを出す。「日常の中の特別な時間を豊かにするプレミアムなビール」という狙いでした。安さで勝負しないと決めた一本です。日本酒でいえば、桶売りをやめて自社の純米を立てるようなもの。相当に重い決断です。
なぜ生まれたのか——名前を変えるのをやめて、中身を変えた
この会社がビールに参入したのは1963年。大手四社でいちばん遅い後発です。同じ年に社名を「寿屋」から「サントリー」へ変えており、新しい戦場に出るのと看板を掛け替えるのを同時にやっています。
ところが、売れなかった。1980年代のサントリーは、名前を変え続けます。「サントリー生ビール」「サントリーCANビール」。缶底のクリップを弾くと泡が出るアワCAN(1985年)まで出しました。中身で勝てないから飲み口や仕掛けで差をつけようとする。追い詰められた側がやることは、業種を問わず似ています。
そこで方針を変えました。名前ではなく、原料をいじる。1986年(昭和61年)、コーン・米・スターチ・大麦といった副原料を一切使わない、麦芽100%の「モルツ」が誕生します。当時の国産レギュラービールで副原料をゼロにするのは明確な差別化でした。原材料表示で勝負する、という腹の決め方です。
「私はドライではありません」——追いかけながら、追いかけていないと言った
ここからが、この会社にしかない面白さです。モルツを出した翌1987年、アサヒビールが「スーパードライ」を投入して大ヒットし、市場は一気にドライ一色になります。サントリーも追随し、「サントリードライ」を発売。麦芽100%のドライビール「冴」も市場にありました。この追随戦は実を結びません。
ところが同じ時期、サントリーは自社のモルツに「私はドライではありません」というコピーを打っています。山本浩二、古今亭志ん朝、藤竜也、五木ひろし、郷ひろみらを起用したCMで、品質の良さを訴え続けました。
片手でドライを出し、もう一方の手で「うちはドライではない」と言い切る。矛盾しています。矛盾していますが、私はこれを二枚腰だと見ています。流行には一応張っておく。ただし本命は絶対に曲げない。淡麗辛口が席巻したときに辛口を一本用意しつつ、看板の純米はいじらなかった蔵。日本酒でも、残っているのはたいていそちら側です。
結局サントリーは、ドライでは勝てませんでした。しかし麦芽100%という自分の答えは手放さなかった。その延長線上に、ザ・プレミアム・モルツがあります。
造りを、水から説明する
ここからが本題です。この一本の中身を、水の側から見ていきます。
原材料の約9割は水。だから水から土地を決めた
意外に見落とされますが、ビールの原材料の約9割は水です。サントリー公式の「ビール事業」ページが、はっきりそう書いています。
同ページはこう続けます。ビールづくりを始めた当初(1963年)から水にこだわり、目指す商品づくりに適したミネラルやイオンの量・バランスを持った天然水を選び、その水が採取できる土地を選んで工場を建設した——と。
普通は逆です。物流や人手や地価から場所を決める。この会社は水から決めました。四つの拠点と水系は、こうです。
- 1963年 武蔵野ビール工場(東京都府中市)/丹沢水系。プレミアム・モルツ誕生の地
- 1969年 桂ビール工場(現・京都工場、京都府長岡京市)/天王山・京都西山水系
- 1982年 利根川ビール工場(群馬県邑楽郡千代田町)/赤城山水系
- 2003年 九州熊本工場(熊本県上益城郡嘉島町)/南阿蘇外輪山水系
日本酒をやっている方は、この並びを見た瞬間に腑に落ちるはずです。蔵が水源の土地に建つのと同じ理屈だからです。京都工場のある長岡京市は、伏見と同じ京都の南部。名水で酒を醸してきた土地の並びに、ビール工場が入っています。
2005年にはすべてのビールを天然水仕込みに切り替え、いまは国産のビール類・ビールテイスト飲料の全商品が、地下深くから汲み上げた天然水で仕込まれています。そして2017年3月14日、武蔵野・京都・利根川の三工場は名称を「サントリー〈天然水のビール工場〉」に変更しました。工場の名前に水を入れる。ここまでやるか、と思います。
同じ銘柄なのに、工場で味が違う
水系が四つに分かれていれば、必然的にこうなります。同じモルツでも、造られた工場によって味が違う。2005年6月には、その差を逆手に取った「モルツ飲み比べセット」が限定発売されたこともありました。同じレシピ、同じ会社、違う水。それだけで味が動くという、公開実験のような企画です。
飲食店にとって、これは美味しい話です。日本酒でいう「同じ米、同じ酵母でも蔵が違えば別の酒」と同じですから。缶の底や樽の口金の製造所記号を見て「これは群馬の水ですね」と添えられる店員がいたら、その一杯の価値は確実に変わります。
麦芽1.2倍、アロマホップ2倍、そして煮出す
水以外も見ておきます。原材料は麦芽100%、ホップ、天然水100%。アルコール分は約5%(2026年時点の現行品は5.5%)です。
- 麦芽を普通のビールの1.2倍、アロマホップを2倍使用しているとされる
- ホップはチェコ・ザーツ産のファインアロマホップを中心に、欧州産アロマホップ100%
- 製法は「アロマリッチ・ホッピング製法」「ダブルデコクション法」「飛沫分離法」「長期熟成」
- 2012年3月11日に「ダイヤモンド麦芽」を加える全面リニューアル、2015年12月にその増量
デコクションは、仕込釜で麦汁の一部を煮出し、また戻すことで糖化の温度を段階的に上げていく製法です。取り出す、煮る、戻す。手間をかけて麦芽の旨みを引き出す点は、日本酒の段仕込みに近い感覚があります。二回繰り返すからダブルデコクションです。
ここで気づいていただきたいことがあります。麦芽もホップもチェコから運べる。運べないのは水だけです。だから工場を水のところへ持っていった。山田錦は兵庫から買えても宮水は動かせないから西宮に建つ——蔵と構図が完全に一致します。
日本酒の仕込み水と、ビールの仕込み水は何が違うのか
同じ「水で味が決まる」でも、日本酒とビールでは作法が違います。
日本酒は、水の硬さで酒の性格が決まる
日本酒の仕込み水でいちばん語られるのは硬さです。灘の宮水は六甲山系の伏流水で、酵母の栄養になるミネラルに富んだ硬水。だから発酵が力強く進み、辛口で骨のある酒になる。これが「男酒」と呼ばれてきた理由です。江戸後期に灘の蔵人がこの水を見つけて以来、酒質を決める最大の要素とされてきました。
対して伏見の御香水はやわらかい水で、発酵はおだやかに進みます。仕上がりはまろやかで、これが「女酒」。名水百選にも選ばれた水です。同じ上方で、水が違うだけで酒の性格が正反対になる。日本酒の水の話は、まずここから始まります。
ビールは、目指す味からミネラルとイオンを逆算する
ビールの側は、少し話の向きが違います。サントリーの説明は「硬い水がいい」でも「やわらかい水がいい」でもありません。目指す商品づくりに適したミネラルやイオンの量とバランスを持った天然水を選ぶ、という言い方をしています。
先に味の設計図があって、そこから必要な水を逆算し、その水が出る土地を探しに行った。日本酒が「そこにある水に酒を合わせてきた」のだとすれば、ビールは「決めた味に合う水を探しに行った」。出発点が逆なのです。
だからこの会社は、水源そのものを事業として抱えています。2003年に始まった「天然水の森」は水源エリアの森林と生物多様性を保全・再生する活動で、公式サイトは「ボランティア活動ではなく、基幹事業と位置付けています」と明記しています。規模は全国16都府県・27カ所・12,000ヘクタール超(2026年3月現在)。山手線の内側のおよそ2倍です。
蔵が水源の山や井戸を守るのと、やっていることは同じです。ただ規模が違う。「水と生きる SUNTORY」というメッセージが決まったのは2005年ですが、水から土地を選ぶ行動は1963年から始まっている。行動が先で、言葉が後。だからこの言葉は強い。
整理すると、こうなります
| 日本酒の仕込み水 | ビールの仕込み水(サントリーの場合) | |
|---|---|---|
| 代表的な水 | 灘の宮水(硬水)/伏見の御香水(軟水) | 丹沢/天王山・京都西山/赤城山/南阿蘇外輪山 |
| 水が効く工程 | 麹づくりと、もろみの発酵の進み方 | 麦芽の糖化と、酵母の発酵の進み方 |
| 水の選び方 | その土地に湧く水に、造りを合わせてきた | 目指す味に必要なミネラル・イオンから逆算して選んだ |
| 水と土地の関係 | 蔵が水源の土地に建つ | 水が採れる土地を選んで工場を建てた(1963年〜) |
| 飲み手が目にできるか | ラベルや蔵の説明で語られる | 工場名が「〈天然水のビール工場〉」(2017年〜) |
面白いのは、結論が同じところに着地していることです。どちらも「水を替えたら別の酒になる」と分かっていて、だから水源を手放さない。造りの思想としては、日本酒の蔵とサントリーはかなり近い場所に立っていると私は見ています。
その後どうなったか——生産終了寸前から、会社を黒字にした
ここは数字で置きます。ザ・プレミアム・モルツには、じつは生産終了の可能性があったと記録されています。それをひっくり返したのが、次の出来事です。
- 2004年10月、「ヨーロッパで戦わせるために権威のあるコンテストに出品せよ」という当時の常務の指示でモンドセレクションにエントリー
- 2005年、「ザ・プレミアム・モルツ中瓶」がビール部門グループIで最高金賞。国産ビール製品としては初
- 2007年まで3年連続で最高金賞。これにより「ハイ・クオリティ・トロフィー」が授与される
- 2008年、ヱビスビールを抜いてプレミアムビールNo.1ブランドに
- 同2008年、1963年のビール事業開始以来はじめてビール部門の単年度黒字を達成
- 同年上半期、日本での課税出荷量の業界シェアで初めて第3位を確保
正確に書きます。モンドセレクションはベルギーに本部を置く民間の品評会で、基準を満たした製品に賞を出す仕組みです。「世界一のビールを決める大会」ではありません。そのうえでマーケティング上の効果は絶大だった、というのが事実です。
1989年に樽生の試作品として生まれ、2003年に改名し、2005年に受賞し、2008年に会社を黒字にした。試作品から19年、参入から数えれば45年です。看板商品は、思いつきの翌月には育ちません。
飲食店での出し方——泡・グラス・鮮度
ここは私の本業です。麦芽100%で香りを立てた設計のビールは、雑に出すといちばん損をするタイプです。
泡
この銘柄は泡が主役です。2018年、サントリーは全国12エリアで「神泡ファン代表」を立てるキャンペーンを展開し、2019年3月には超音波振動で缶の外からクリーミーな泡を作る電動の「神泡サーバー」を配布しました。
中身を変えずに、飲むときの状態だけを変えた。日本酒でいえば、同じ酒を器と温度で二品に見せるのと同じ発想です。ただし店には怖い話でもあります。お客さまは家庭で「泡の質で味が変わる」と学んでしまった。店の泡が家より雑なら、そう評価されます。
グラス
やることは二つです。洗剤やリップの油分を残さないことと、冷やしすぎて霜を張らせないこと。油膜があると泡は立たず、霜が張ったグラスは注いだ瞬間に泡が粗くなります。おちょこを選ぶのと同じで、器の状態が味の半分です。
鮮度と、樽の回転
サーバーの毎日の洗浄、適正な温度管理、開栓から何日経ったかの管理、注ぎ方の統一。ぜんぶ、お金をかけずにできます。造り手が森を12,000ヘクタール抱えて設計した一杯でも、最後の数メートルを握るのは店です。生酒と同じ感覚で構いません。
メニューに一行足す
「生ビール(中)」の行に「麦芽100%・欧州産アロマホップ100%・天然水仕込み」と一行足す。それだけで単価の説明がつきます。日本酒のメニューに蔵と米と精米歩合を書くのなら、ビールにも同じ礼儀を尽くすべきです。
そして2026年、金の缶が紺になる
いま、この銘柄は大きく変わろうとしています。同社の「2026年 サントリー(株)ビール事業方針」(2026年1月13日)によれば、ザ・プレミアム・モルツはパッケージのベースカラーを金から紺へ刷新し、中身も「さらに“深いコク”と“心地よい余韻”を実現」する方向へ進化させるとしています。
プレモルといえば金の缶、という認識は相当に強固です。それを紺に変える。公式が挙げる理由は、時代とともに変わる「プレミアム」のイメージに合わせるためで、近年は「ゆとり、余裕といった心の豊かさ」が重要になっていると考え、それを色で表現するのだといいます。受賞で押し上げた商品を、自分で壊して作り直すのは二度目です。
もうひとつ、水の話として書いておきたいのが令和8年(2026年)熊本地震です。南阿蘇外輪山水系の上に建つ九州熊本工場は、2026年7月29日付のお知らせで工場見学と場内全施設の休業を発表しました。報道によれば操業自体も停止しており、復旧には3〜4か月、年内の生産再開を目指すとされています(記載は2026年8月27日時点)。
水のある土地に建てるということは、その土地の地面ごと引き受けるということでもあります。水源に恵まれた場所は、たいてい火山と断層のそばにある。日本酒の蔵が震災や水害のたびに同じ場所で建て直してきた歴史と、これは地続きの話です。動かせないものを持つ造り手は、強くもあり、脆くもある。
それでも、水を選ぶことはやめない。1963年に水から土地を決め、2003年から森を育て、2005年に全ビールを天然水仕込みにし、2017年には工場の名前まで水にした会社です。次にこの一杯を注ぐとき、その水がどこの山から来たのかを思い出してみてください。宮水の一杯を語るのと、同じ言葉で語れるはずです。
サントリーが1963年からどう歩き、この一本にたどり着いたのか。45年の苦戦、モルツ、発泡酒、金麦、そして2026年10月の酒税改正まで、年表で追いたい方はサントリービールの歴史と全銘柄年表|1963年の参入からプレミアム・モルツまでをあわせてどうぞ。
20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒運転は絶対にやめましょう。
